引き渡しの日、私は部屋の隅に立って、何も持たずに出てきました。鍵を返すとき、担当者の前で手が少し止まりました。売ると決めるまでの罪悪感については、ずいぶん考えました。手放したあとに何が残ったかを、正直に書いておきます。
最初に浮かんだ言葉は「親を裏切る」でした。父と母が働いて手に入れた家を、私が売る。そう思うたびに胸が痛みました。
ただ、その言葉を何度も唱えているうちに、少しずつ違和感が出てきました。親は、家そのものを私に残したかったのだろうか、と。思い出そうとしたのは、家について話していたときの親の表情でした。そこにあったのは「家を守れ」という感じではなく、「あんたが困らないように」という感じだったように思います。
罪悪感の正体は、親を裏切ることではなく、私が想像の中で親を厳しくしていることでした。勝手に審判を作って、勝手に責められていました。
いま思えば、罪悪感の中心にあったのは「手放すこと」ではなく「手放したあとに何も残らないこと」への恐れでした。だから、写真と物を残すと決めたとき、気持ちが少しだけ落ち着きました。
もうひとつ分かったのは、記憶の置き場所の問題でした。私の中の「子どもの頃の夏」は、あの住所に固定されていました。だから家がなくなる=記憶がなくなる、という感覚になっていました。
実際に家が無くなってみると、記憶は残りました。むしろ、住所を気にしなくてよくなったぶん、思い出しやすくなった面もあります。記憶が住所に紐づいていただけで、住所のほうは記憶の入れ物ではなかったのです。
売るかどうかを決める前に、家族と共有したのは結論ではなく事実でした。
これらを先に出しておくと、「売る」という一言の重さが変わります。売りたい人と残したい人が向き合うのではなく、条件を一緒に見る形になるからです。
もうひとつ、決める前にお願いしたことがあります。私の罪悪感を、家族に裁いてもらわないこと。罪悪感は私の内側の問題なので、他人に否定されると、かえって頑固になりました。
家は無くなりましたが、続けていることがあります。
家の中と外、庭、近所の道順。物を動かす前に撮った写真を、ひとつの場所にまとめてあります。見返すと、住所ではなく景色として思い出せます。
食器を二客、道具をいくつか、写真の束。全部は無理でも、手元に置く量を決めておくと、思い出すための入口になります。
きょうだいと会う口実が家だったので、別の用事を一つ決めました。家が無くなると、意外にここが効きます。
続けることを選ぶ基準にしたのは、手間が続くかどうかでした。毎年欠かさずやることより、思い出したときに開けるだけの形のほうが、私には続きました。
※ここに書いたのは私個人の実感です。名義や税の扱いは状況によって変わります。判断が必要な場面では専門家に確認してください。
罪悪感を持ったまま決めてよいのか、とよく考えました。結論としては、消してから決めるのは無理でした。消える前に、確かめられることを確かめて決める。それが現実的な進め方でした。
手放したあとに残ったのは、後悔というより、少し落ち着いた寂しさでした。記録と、続けていることがあるからだと思っています。
罪悪感を抱えたままでも、条件だけは先に知っておけます。私は情報を集めたことで、ようやく家以外の軸でも考えられるようになりました。
実家の売却・片付けを無料で相談する相談は無料 / 費用・条件は各社の案内によります相談は無料で受けられますが、対応してくれる範囲や連絡の方法、費用の内訳は各社の案内によって異なります。条件は地域・時期で異なるため、申し込む前に確認しておくと安心です。
親の家を売ることに、罪悪感を持たない人は少ないのだと思います。ただ、その気持ちがあることと、決められないことは別でした。気持ちを抱えたまま、確かめるべきことを確かめて決める。その順番でよかったと思っています。